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様式美

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 1月19日(金)19時55分24秒 p2460252-ipngn17301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  つまり野孤禅さんの仰りたいこととは「勝敗」<「様式美」ということですね。

相撲がボクシングと同じように、ただ、相手を倒すだけを目的とした格闘技であるなら、味もそっけもない四角いリングでやればいいでしょう。

何も、綺麗に髷をゆったり、長々と仕切りを繰り返したり、繰り返し塩を撒いたりすることもない。

丸い土俵、行司や呼び出しの伝統的な衣装、力士の色鮮やかな回しなど、そういうものの全てが様式美なのです。

観客は繰り返し成される仕切りと時間の経過の中で次第に気分が高揚していく。

行司の軍配が還るときクライマックスはやってくる。

それと、八百長を過度にいうのは野暮ってものですね。

それはガマの油売りやマジシャンの手品を見て「インチキだ」と言うようなモノでしょう。

分かっていてそれを楽しむ、信じるフリをするという遊び心がないんですね。

まあ、嘉風のような本物のガチンコ力士も多くいるでしょうけど、相撲の真骨頂はトータル的な様式美じゃないでしょうか。

写真 この日はミサゴは3回来てくれたのですが、おそらく食事が済んだ後なのでしょう、上空高くを仲良くつがいで旋回するばかりで降りてきてくれませんでした。

しばらく悠々と大空を舞っていたのですが、茅ヶ崎方面へゆっくりと飛び去って行きました。

ミサゴ君、子孫を沢山残してくれよ。




 
 

Re:相撲雑感

 投稿者:野狐禅  投稿日:2018年 1月19日(金)16時50分55秒 p19087-ipngn4001hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  いちのへさん

 相撲についてもう少し愚論を述べさせてください。

 外国人力士を入門させた時のいきさつはよく知らないのですが、制限はあるにせよ、今のように無視できない数の外国人を要した状態で、しかも上位力士の大多数がモンゴル人に占められていながら、日本大相撲と名乗るのは羊頭狗肉ではないかと思います。
 いちのへさんのように、相撲より観客席の人生模様を観察して楽しむほどの粋な気持ちは持ち合わせてはおりませんが、本来神前で余興を奉じる興行として発祥したものだから、ガチンコ相撲に徹するのは本道ではないと思うし、興行として成り立たないほどの八百長相撲も神様に失礼(?)だと思うのです。

 私が思い出すのは、満身創痍の横綱貴乃花(二代目)が結びの一番でハワイ出身の横綱武蔵丸と対戦した時の相撲です。
 勝負は貴乃花が勝って、鬼の形相をした映像が印象的でしたが、時の総理大臣である小泉氏が“よく頑張った!感動した!”と言った。

 日本人として恥ずかしくなった。
 総理大臣ともあろう者が、表面的なことだけで感情を露わにすることの器量の小ささに対してです。
 対する武蔵丸の心情を少しでも慮ることはできないのかと・・・

 日本の総理大臣としては、怪我をした対戦相手に対する外国人横綱の複雑な心境に想いを寄せて、武蔵丸に対してその苦闘を称え、しかる後に貴乃花を称えるべきであったと。
 相撲とは、本来このように単なる勝ち負けではなく、日本人としていろいろなことを考えさせてくれる興行であるべきではないかと私は考えています。

 

人間の本能

 投稿者:いちのへ  投稿日:2018年 1月19日(金)15時27分40秒 KD014101145203.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.9205[元記事へ]

桜坂 秀翠さん

【桜坂 秀翠:人格だの品位だのを無駄にいうのも考え物ですが、本能剥き出しというのもまた困りモン】。

↑ これ、興味深いポイントなので少し。

前にも書いたかもしれませんが、『性欲や生存欲というものは人間特有の本能ではない』と
ボクは考えていまして、ならば人間特有の本能とは何か?というならば、それは

『自分という存在が価値ある名誉ある存在だと他者に認知されたい』
『自分が抱く世界観が価値あるものだと他者に認知されたい』

という自己認知要求という衝動・希求心、これが人間の人間たる本能としての欲望ではないか?、
と思っているんですね。動物にもあるようですが(求愛行動でやるダンスなどにそれが観察される、
あれはダンスという手法で自分の世界観の価値を主張しているように見えますからw)、
人間はド外れてこの『自己認知要求』という欲望が強いように思われます。
この欲望が満たされないストレスで壊れ、狂う人間は枚挙にいとまがない、
(CH桜の水島某なども典型)しかし性欲で狂うというのはあまりないと思うんですね。
性欲処理ではマスターベーションという方法もありますから、性犯罪に走ることあっても
性の欲望自体で人間がモラル的・精神的に狂うことは稀ではないか?と。
男性の場合は一旦射精してしまえばド~ンと欲望レベルが下がり萎える、
その程度の生理現象を本能と呼ぶのはおこがましい、と思うんですね。

そして、上記の一種の名誉欲のために性欲や生存欲を抑えるという行為も人間には見られるので、
性欲や生存欲よりも強く上位である自己認知要求なる欲望を人間は持っている、と感じるんですね。
この自己認知要求が叶わない場合の現象例として『自殺』というものを捉えることができると思う、
他者から良好な自己存在認知を受けている人間が自殺することはまず無いと思うんですね。
その意味で、『自己存在認知』という欲望が満たされるかどうかは、人間の能動的寿命に密接に
関わっていると考えますね。

このタイプの本能を高いレベルで剥き出しにする人間の数が多ければ多いほど、
人間の文化もより高レベルになる印象を受けるんですね。

『自分という存在が価値ある名誉ある存在だと他者に認知されたい』
『自分が抱く世界観が価値あるものだと他者に認知されたい』

そういう希求心・本能の具体例=人間品位の具現化例としては、たくさんありますが、たとえば

○ ミケランジェロのダビデ像
○ バッハのブランデンブルグ協奏曲

などが挙げられると思います。

 

相撲雑感

 投稿者:いちのへ  投稿日:2018年 1月19日(金)14時51分9秒 KD014101145203.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.9207[元記事へ]

野狐禅さん

こちらこそ僭越な物言いで大変失礼いたしました。
相撲についてですが、ボクは外人を入れた時点で『国技』を標榜するのは僭越だろうと
思っていまして、日本国内の文化を基盤とした民間団体の興行であることをもっと謙虚に認識することこそ、それこそ『日本的な嗜み』ではないか、と思っています。
食えない=儲からないから、外人を入れた興行で人気がでるのを狙うという手法は端的に言って卑しい、
ならばなんで運動能力に優れた黒人を入れないのか?という話になった場合、
相撲協会の連中の独善的差別的世界観が暴露されると思っています。

あくまで『日本生まれの日本人』という閉じた環のなかでやればいい、
そのなかでやれば『肉体的に如何に強靭であるか』だけが残酷なまでの結果を齎すこともない、
今回の稀勢の里の休場(おそらく来場所で引退?)直前の尻餅ついての無残なまでの負けかた、
歪んだ顔をアップで見せてまでやる相撲というものを見ていると、
一人の人間の人生をここまで毀損してやるだけの価値がこの興行というものに果たしてあるのか?
見ていてこんなに無残不愉快な思いをする興行の原因が何処にあると相撲協会の連中は思っているのか?
と外部の人間としてはむしろ哀れにさえ思えてくるんですね。
稀勢の里が一番強いレベルの大相撲で別にいいぢゃないの、と思うわけです。
あの程度の強さで勝ってやる『ドヤ顔』に、あははと笑って癒される
(オレたちも会社で仕事取れたときにやってるよナ)と共感するそんな相撲で十分。

大相撲

とことん根がらみでカネまみれの興行の世界、そんなに見る価値あるのかネ?と
ボクはかなり小馬鹿にしてるんですが、そう言いながら実はけっこう見てるんですw。
なぜか?
それは相撲の取り組みよりもカメラに映る観客席の一人一人の人間の顔が
実に興味深い、顔をみると『あぁ、この人はきっとこんな性格の人なんだろうなぁ』と
それぞれの風貌から人生が見えるよう。
それがあれだけの数で並んでいると一種の『すさまじい』残酷なまでの感覚を覚えるわけです。
相撲の一瞬の勝負けに、自分の人生で味わってきた勝ち負けを投影し、
口を開けて一喜一憂しているようにも見える、大相撲の醍醐味は力士よりも桟敷で無防備な表情を
晒してしまっている観客の顏、それが大相撲番組をみる理由。
意地の悪い冷淡な見方であることは間違いありません。

 

Re:onnnano

 投稿者:野狐禅  投稿日:2018年 1月19日(金)12時42分19秒 p19087-ipngn4001hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  桜坂 秀翠さん、いちのへさん

 つまらない感想にレスいただきまして有難うございました。
 女の気品の喪失は、男のそれに影響されたものだったのですね。
 自分のことを棚に上げて、女性への注文をつける私など、日本人の感性が少々毀損しているのかもと反省いたしました。

 昔、大鵬が勝ってる勝負に負けと判定されて、横綱としてこんな相撲を取ったことを反省するとして、素直に従った時のことを思い出します。
 当時、ビデオ判定がされていたなら、連勝記録を更新したであろう大事な勝負で、心の奥底ではどんなにか悔しい思いをしただろうと忖度しながらも、半分日本人の血が入っている彼の日本人的感性に感動したものです。

 モンゴルの大横綱も、所詮、日本的な感性を持ち合わせることはできないであろうことを考えながら、横綱のあり方について相撲協会はもっと慎重になってほしいと思いました。
 強い力士は大関どまりとすべきで、横綱は人品卑しからずの稀有な人材を大関から選ぶべきと考えます。
 相撲は神事とはいえ、興行的な要素を持った世界ですから、勝負に忖度があってしかるべきであり、勝負にこだわりすぎるのも如何なものかと思っている次第です。
 

女の気品、男の気品

 投稿者:いちのへ  投稿日:2018年 1月19日(金)11時49分5秒 KD014101145203.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.9201[元記事へ]

野狐禅さん

【野狐禅:女性の人格の深みのようなもの、気品という要素が年々薄らいでいくよう】

↑ お気持ち拝察いたしますが、これは自然な流れでしょうね。

なぜか?といえば、我々戦後の男にはもう日本という社会に帰属するにあたり
『栄光ある死』というものが消失してしまいました、務めとしておそらくは死ぬという状況に
黙って出かけていくこともない、これすなわち生に於いて究極の気品なるものを持ちようがない
理由となっていると思いますね。ボクも今までの人生でナニをやってきたか?と振り返れば、
とにかく

金と女

こればっかり追いかけてきまして、これを追いかけるために
仕事をしてきたようなもんで、それで足りなくて株や為替という博打に手を出して
惨めな惨敗を喫しヘタリこみ小便漏らしているようなザマ。
おそらく、男の気品というものは、カネや時には命さえも全部吐き出し自分の誠意を証明する、
そういう覚悟と実行から生まれると思うんですね。
その具現としてボクはとにかくカアチャンにじぇんぶ渡すことから始めているわけであります。
そして、これは白人や支那人にはできないやりかただろうと少しばかり自惚れてもいるわけです。

 

反省

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 1月19日(金)11時42分42秒 p2460252-ipngn17301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  いちのへさん

>理屈や道徳なんかどうでもイイ、オレはとにかくしたいんダ

ピンクレディーもその昔「やっちゃいな、やっちゃいな、ヤリたくなったらやっちゃいな」と歌ってましたっけ。

まあ確かに宣長も自然な心=大和心といい、倫理や道徳だとかを過剰に言い募る宋学者や坊主に向かって「それは自然に反するからごころである」と言いましたが、道徳的な人間に観られたいというのもまた人間の自然な感情ですからね。

人格だの品位だのを無駄にいうのも考え物ですが、本能剥き出しというのもまた困りモンです。

本能と理性とを保守思想によってモデラートする。

つまり平衡感覚ね。

>ユーモア小説の1冊も書いたわけでもないし、ジェロームの『ボートの3人男』を
 読んだことさえない人がほとんどでしょうからね。

↑ユーモア、日本語で言うところの諧謔といいますのは、どこかペーソスめいたものを含んでなけりゃ駄目でしょうね。

おのれの外見的特徴や性癖を自分自身ででからかうような、そういう逃れようもない性を滑稽さをもって表現できるかどうか、ここが大事でしょう。

大いに反省するところであります。

 

ユーモアの欠如

 投稿者:いちのへ  投稿日:2018年 1月19日(金)10時47分59秒 KD014101145203.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.9203[元記事へ]

桜坂 秀翠さん
野狐禅さん、ども。

【桜坂 秀翠:人間というものなどは異性への関心を持たずして生きていけるほど御大層な生きモンじゃない】

↑ 解説

常々アタクシは男というものは男性ホルモンの中毒者=シャブ中と同じ、と認識してるわけです。
理屈や道徳なんかどうでもイイ、オレはとにかくしたいんダ、という性行動を取るように
毎日毎時間性ホルモンが切れることなくチビチビシュワシュワと分泌されてるわけで、
これは何十万年もかけて設計されたシステム、男は誰でもこの『中毒』から逃れる術はないわけです。
坊主だって香典袋から現金抜き取り袈裟脱ぐなりキャバクラ行く、これも『性ホルモン中毒』。
この性ホルモンが駆動する人間の行動様式というものは、実は『生きる・生きたい』
という欲望・衝動とほとんど同じ領域でカブっているので、ご婦人方から

『もう、ホントにいやらしいんだから!』

と、お叱りを受ける領域だけを魚を綺麗に3枚に下ろすように切り取ることなんかできないわけです。
だから男は勃たなくなったら萎んだ陰茎を掴んで『ア、オレって終わったんだナ』と
自分の死を予感する、性ホルモン駆動力が消滅したら生きる駆動力もほとんど消失しちゃう。

次。

【桜坂 秀翠:男の性(さが)を逆に楽しんでやろうというユーモアが、人権だの、女性の権利だの、
 男女同権だのをわめき散らす女性には欠如してるんじゃないか。】

↑  こういう不満・クレームはトライしないほうが安全ですね。
  相手にそういうキャパがない場合は、ドッチラケどころか白眼視され、
 こちらの風評が毀損される可能性がありますから。
    『ユーモアの欠落した女性がほとんど(男も同じ)=人間の性器がついてる動物』
 くらいに思って関わらないことがイチバン安全でしょうね。
 そして、このリスクの根源が何処からきているか?を洞察すれば、それは
 『自分が自惚れているほどには自分には高級なユーモアを使い回す能力が実は無い』
 という絶壁的事実にブチあたると思うんですね。
 だって、ユーモア小説の1冊も書いたわけでもないし、ジェロームの『ボートの3人男』を
 読んだことさえない人がほとんどでしょうからね。

 自分が『ユーモア』だと思って投げるボールは、ほとんど場合ビーンボール:死球、ですね。
 この暴投を懲りずに繰り返して人間は世間から孤立していくわけです。





 
 

ユーモアの欠如した女たち

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 1月19日(金)09時19分55秒 p2460252-ipngn17301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  女性の人格の深みや気品が失われているのではないか、という野狐禅さんのご意見はまったくその通りであり、所詮は人間というものなどは異性への関心を持たずして生きていけるほど御大層な生きモンじゃない。

べべじゃないが、「キミ、可愛いお尻してるね」ぐらいで何をヒステリックに騒いでいるんだろうな。

そもそも、何も言わずとも自然に漂ってくるような気品があれば、そうたやすくセクハラなどできるもんじゃない。

そういう女性にはセクハラを受けてしまうような素地がもともとあるんじゃないか、とは言い過ぎかもしれないが、そういう男の性(さが)を逆に楽しんでやろうというユーモアが、人権だの、女性の権利だの、男女同権だのをわめき散らす女性には欠如してるんじゃないか。

「キミのお尻魅力的だね」と言われたら、「あら嬉しいわ、あなたもそんなご立派なモノを股間にぶら下げて魅力的だわ、でも歩くとき邪魔にならない?」とでも返せばいいのにね。
 

Re: どっちがまともか、どーでもいいけど

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 1月19日(金)07時40分38秒 p2460252-ipngn17301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.9201[元記事へ]

野狐禅さん

お懐かしゅうございます。

ようこそお越し下さいました。

某所では何度かお相手頂きましてありがとうございました。

>  時々覗いて拝読しておりますが、お三方の論説は、私などの浅薄な身には難しくてなかなかついていけません。
>  表題については、私も全く同感で、女性の人格の深みのようなもの、気品という要素が年々薄らいでいくようで残念に思っております。
>
>  前髪を垂らした男はなぜか今一つ信用できない感覚をずっと持ち続けておりました。
>  人それぞれ個性があってよろしいかとは思うのですが、前髪を下している人を見ると、大人になりきっていないようなそんな先入観を持ってしまう私が私だけではないと思えてちょっぴり安心しました。

↑山桜さんとご盟友の野狐禅さんと意見を共有でき大変嬉しく思います。

話題からは逸れますが、千葉県柏市の公立学校が「ジェンダーレス制服」・・・直訳すれば、「性別なき制服」とでもなるのでしょうが・・・の導入に踏み切ったというニュースをやってましたね。

男女の性差をなくし、男でも女でもないひとりの「個人」として、着たいと思うデザインの制服を自由に選べるようにしようというのが趣意だそうです。

いわゆるLGBT患者への配慮ということなのでしょうが、何故こうも社会的弱者の気持ちだけが忖度され、フツーの高校生の気持ちは無視されるのかといいますと、やはり敗戦後アメリカから配給された「個人の自由」を最高価値とする個人的自由主義によって「伝統」という妥当な規制までが破壊されてしまったからだと思います。

肉体と精神が合致しないというのは確かに気の毒なことではありますが、過剰な自由主義は持って生まれた宿命を引き受けようとする精神を根絶やしにし、「忍耐」の二文字を根こそぎにしてきました。

小さなことですが、これらを家庭崩壊や学級崩壊、伝統軽視、横行する煽り運転、子への虐待、といった社会現象にまで広げて見れば、決して小さな問題とはいえないでしょう。

野狐禅さん、またいつなりとお越し下さい。
 

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